林死刑囚はオウム事件の松本死刑囚の刑執行に触れており、「次は私ではないかと思うと、食事も喉を通りません。私は無実です。」と訴えていたといいます。
カレー事件では、ヒ素が混ぜられたカレーを食べた児童を含む4人が死亡、63人が中毒症状を起こしました。
今からちょうど20年が経過しましたが、記憶はいまなお鮮明に残っています。
しかし、今でも100%といえる証拠はあがらずじまいです。
彼女と面会したという夫も「今でも眞須美はやっていないと思う」と話しているとのことです。
ネットでは次女が真犯人ではないかと噂になったりもしています。
しかし、真相は藪の中・・・。
カレー事件の経緯を追う!

1998年(平成10年)7月25日夕方-この日は夏休み最初の土曜日でした-に和歌山県和歌山市の園部地区では夏祭りが催されていました。
そこで配られていたのは元保険外交員で主婦の林 眞須美(はやし ますみ、1961年7月22日 – 、事件当時37歳)たち主婦たちによってつくられたカレーでした。
このお祭りが開催されていた広場は眞須美容疑者の自宅から徒歩5分と非常に近い場所にあります。
【08:30】
カレーは眞須美容疑者の地宅から20m先にあるガレージで調理がはじまりました。
そこには主婦たち20人があつまっていました。
【10:00】
カレーの煮込みがはじまり、午前11:30には6人が味見をしていました。
しかし、このときは特に異常は見当たりませんでした。
また、眞須美容疑者は当日午前中に病院へいっていたため、実際の調理には参加していませんでした。
【12:00前後】
彼女はちょうどお昼時にガレージに着いたと話しています。
ガレージへ到着すると、そこには主婦たち5人がおり、既にカレーは完成していました。
遅れてきたせいか、主婦たちからは「今頃なにしに来たの?」
そんな表情にも読み取れる顔をされたと彼女は後に話しています。
気まずい雰囲気になり、眞須美容疑者は一旦自宅へ帰宅しました。
腹立ったわ、もう行けへん

『腹立ったわ、もう行けへん』
眞須美容疑者はひどくご立腹でした。
「班長なんだから、何かせぇよ!」
旦那にそう言われると、彼女は再びガレージへ向かいました。
【12:15】
この様子を入口から10m離れたところにいた少年がずっとみていました。
ガレージの中には2人のおばちゃんがいて、眞須美容疑者が中へとはいっていきました。
右手に持っていた紙コップを左手に持ち替えて歩みをすすめる眞須美容疑者。
彼女は落ち着かない様子でカレー鍋の付近をうろうろしていました。
少年はそのあと、間もなくその場から離れたため、その紙コップに何がはいっていたのか、真相まではわかりません。
【12:20】
ガレージに最後までいた主婦は昼食の準備のため帰宅しました。
このあと、次の見張り当番がくる13:00までの凡そ40分間は眞須美容疑者1人きりだったといいます。
そう、カレー鍋の目の前にいたのは彼女だけ。
しかし、彼女の証言では自分の子供2人と一緒にいたのでひとりきりにはなっていないと話しています。
一方でこのような証言もあがっています。
彼女は本当に1人だったのか
〇「カレーをかき混ぜていた」
〇「紙コップを持ったまま立っていた」
しかし、後の調査でこの証言には、内容や時間の記憶にあいまいな部分もあったといいます。
【13:00】
次の見張り当番である主婦がやってくると、一方的に次のような言葉を残してガレージを後にしました。
『何もしなくて良かったの?』
『ここに座ってただけで・・・。』
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