芸能・番組

テンコジといえば、天山広吉と小島聡のタッグ!新日本プロレスはこの2人なくして語れない!

ジャージー牛乳
ジャージー牛乳
なぁ、テン!おう、コジ!

 

テンコジこと、天山広吉と小島聡の2人


 
ここ最近のプロレスといったら、レインメーカーことオカダ・カズチカケニー・オメガといった顔ぶれを思い浮かべるかもしれないけど、ちょっと待った。
 
誰か重要人物を忘れてはいないかい?
 
そう、あの2人のコンビだ。
 
天山と小島だ!
 
テンコジだ!!
 
 
すこしテンコジについて語らせていただきたい!
 
 
天山(当時は本名の山本広吉)は1990年に新日本プロレスへ入門。
 
小島は翌1991年入門のほぼ同期の間柄なのだ。
 
また、小島のデビュー戦の相手を務めたのも天山だったりする。
 
2人はヤングライオン時代からよく前座の試合でタッグを組んでおり、金本浩二&西村修とのタッグマッチでは前座の試合ながら週刊プロレスの巻頭カラー3ページを飾ったことがある。
 
1999年1月4日天山と小島はヤングライオン時代以来のタッグで天龍源一郎&越中詩郎組の保持するIWGPタッグ王座に挑戦しこれを奪取。
 
以後このベルトを巡り永田裕志&中西学組と抗争を展開し新日本のタッグ戦線を盛り上げる。
 

ジャージー牛乳
ジャージー牛乳
永田のナガタロックや、中西のアルゼンチンバックブリーカーも好き。

 
また、2000年にはその活躍が認められプロレス大賞の最優秀タッグチーム賞を獲得した。
 
しかし2002年に小島は武藤と共に全日本プロレスに移籍が決定する。
 

ジャージー牛乳
ジャージー牛乳
・・・・・泣

 
試合後花道を去ろうとする小島にマイクを握った天山は、
 
「小島、出て行け、タコ! 全日本でも…どこだろうと!頑張れよお前!わかってんのか!コジ!わかったか!」
 
と天山一流のエールを送り、小島はこれに深々と頭を下げ花道を去りテンコジは解散となった。
 
 
時は流れ、2008年7月8日!
 
天山が抗争を繰り広げていた飯塚高史とのランバージャック・デスマッチ戦
 
勝利をおさめた天山だったが、G・B・Hに袋叩きにされる。
 
その時だ!!
 
全日の試合を負傷欠場中だった小島が救出に駆けつけたのだった。
 
「真壁&G・B・H、よく聞け。
 
俺たちが世界で一番有名で、世界で一番かっこいいタッグチーム、天山&小島、略してテンコジだ、バカ野郎!
 
と、再びテンコジとして活動していくことをアピール。
 
それから数試合新日本と全日本のビッグマッチで勝利を積み重ねた二人はプロレス界イチ泣かせるタッグチームというやたらと長いチーム名で満を持してG1タッグリーグに出場。
 
初戦こそ落としたもののそれ以降順調に勝ち続け決勝トーナメントも制して優勝。
 
そして世界最強タッグ決定リーグ戦でも負傷に苦しみながらも優勝を遂げた。
 
 
■連携技
〇テンコジ・カッター
天山がマウンテンボムで相手の体を抱え、小島が相手の首を捕らえコジコジ・カッターでマットへ叩きつける。ダッドリー・デス・ドロップ(3D)と同型。
 
〇オレごとアナコンダ
立っている相手をスタンディング式アナコンダ・バイスの要領で捕獲してから、そこへ小島がラリアットで天山の腕ごと相手をなぎ倒す。
 
〇アナコンダ・カッター
天山が上記の通りスタンディング式アナコンダ・バイスで相手を捕らえ、小島がコジコジ・カッターの形で相手の顔、胸をマットに打ち付ける。
 
〇TCD(Ten Cozy Driver)
天山のTTDと小島のCCDを同時に仕掛ける危険な複合技。
 
 
■獲得タイトル歴
〇新日本プロレス
・IWGPタッグ王座(第36代、40代、58代、60代、62代、74代)
・G1 TAG LEAGUE 優勝(2001年、2008年)
 
〇全日本プロレス
・世界最強タッグ決定リーグ戦 優勝(2006年、2008年)
 
〇NWA
・NWA世界タッグ王座(第75代)
 
〇プロレス大賞
・プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(2000年)
 
 
テンコジの有名な発言として、
 
「1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ。10倍だぞ10倍」
 
という名言がある。
 
元々の発言は1999年3月5日に行われた興行「HYPER BATTLE ’99」後楽園ホール大会のメインイベント後にされたものだ。
 
一部では「対戦相手が『(自分たちは)1+1で20だ』と言ったことに対する挑発返し」との解釈も広まったが、実際のところは小島が本当に計算間違いをしていた。
 
このため小島は2006年にこの発言を訂正している。
 

出典:https://bit.ly/2M7Bdrz

 
 

小島聡という漢

View this post on Instagram

いい汗かけました。 #小島聡 #ワークアウト

小島 聡さん(@cozy_lariat)がシェアした投稿 –


 
学生時代に格闘技のバックボーンを持たず(柔道経験があるが特に大きな記録は持っていない)、一度はノーリツに就職したものの退職。
 
アニマル浜口ジムでトレーニングを積み、1991年2月に新日本プロレスに入門。
 
同年7月、山本広吉(現:天山広吉)戦でデビュー。
 
1994年、ヤングライオン杯で全勝優勝を飾り、海外遠征に出発。
 
1996 年に凱旋帰国、中西学とブル・パワーズを結成し、IWGPタッグ王座を獲得するなど活躍する。
 
怪我で長期欠場していた復帰後の1998年に武藤敬司に誘われnWo JAPANに加入、自身初のヒールに転向する。
 
体格やファイトスタイルが重複していた天山広吉とタッグを組む機会が増え、「テンコジ」として知られる。
 
その後nWoが蝶野正洋率いるTEAM 2000に吸収されると、IWGPタッグ王座を当時の最高記録である6度の防衛を果たすなど名タッグとして活躍する。

出典:https://bit.ly/2QGU79m

 
見よ、このラリアットを!!
 


 
かっこよすぎるぜ!!
 
 

天山広吉という漢


 
京都市立北野中学校、京都府立山城高等学校卒業、学生時代はボディビルとバスケットボールに打ち込み、新日本プロレス学校を経て、1990年5月に新日本プロレスに入門。
 
1991年1月11日、今治市公会堂大会にて、本名の山本広吉として松田納(現:エル・サムライ)戦でデビューを飾る。
 
その後は同時期にデビューした小島聡とのタッグで前座戦線を沸かせてきた。
 
1993年3月、若手選手を中心としたリーグ戦、ヤングライオン杯に出場。リーグ戦で勝利を積み重ねていき、23日の決勝戦で対戦した西村修から勝利を収め、同大会を優勝。
 
6月より海外武者修行のため、グラーツを拠点とするキャッチ・レスリング・アソシエーション(Catch Wrestling Association、略称 : CWA)に参戦。
 
現地でランス・ストームを下し、CWA世界ジュニアヘビー級王座に2度戴冠する活躍を遂げた。
 
また、カルガリーの大剛鉄之助の元で肉体改造を行い、1995年1月4日、凱旋帰国に合わせてリングネームの姓を天山と改め、中西学とシングルマッチで対戦し、勝利を収めた。
 
2月4日、橋本真也の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。敗れはしたものの、23歳9ヶ月での挑戦は当時の最年少挑戦記録を打ち立てており、その将来性を高く買われていた。

出典:https://bit.ly/2SQCSnO

 
天山といったらやっぱりコレ!
 


 
テンザン・ツームストン・ドライバー(TTD)だ!!
 
 

新日本プロレスといったらテンコジ

 
ぼくにとって、新日といったらやっぱりテンコジの2人が最強だった。
 
もうとにかく好き。
 


 
かっこいいのだ。
 
だからこそ、小島聡が新日退団して全日へいくと知った時は本当にショックだった。
 
実はそれ以降、もうプロレスを全くみなくなってしまったほど。
 
それくらい大好きだった。
 


 

ジャージー牛乳
ジャージー牛乳
天山のTTDも好きよん♪。小島のラリアットは最強すぎる。

 
 
これは当時すごい闘いだったなぁ。
 


 
負けちゃったけど、本当に興奮した。
 
 
他にも好きなレスラーは沢山いるけど、この2人に勝る人は後にも先にもいない。
 


 
また2人の闘いがみたいな。
 
テンコジタッグの闘いじゃないけど、新日本と提携しているメキシコの団体【CMLL】の日本ツアーがあってそれに小島聡も参戦するんだよね。
 
つまり、小島の試合がみれるんだ!
 
これはワクワクがとまらない~🎶
 

ジャージー牛乳
ジャージー牛乳
いまから楽しみ!!

 
 

いっちゃうぞバカヤロー!

ABOUT ME
ジャージー牛乳
ジャージー牛乳
★足跡/掲示板★ ※ご自由にお使いくださいね。 ■役者を10年以上続けてきましたが、食えるわけもなく。お財布を少しでも潤したいと思いネットビジネスに手を出す。牛乳が大好きで山梨県の清里にちょこちょこ出没(※年に数回程度ですが。) いつか、牛乳が世界を救う時がくる。そう信じて僕は今日も一歩前へ歩を進める。
UQ mobileのキャンペーン情報!

キャッシュバック
 
店頭お申込みにはない…
WEBオンライン限定のキャッシュバック施策!
 
キャッシュバックの概要
 
キャンペーンページ