※一番最後のページに当時の事件に関する詳細な内容を記した。どうか心乱れることなくお読みください。
みなさんは覚えているだろうか?
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」代表の和田真一郎を。
リンカン事件が発覚した、あの2003年頃を。
稀代の鬼畜集団を束ね、仲間内で「和田サン」と奉られていたのが、この和田真一郎氏(44)。
1998年~2003年の間に被害にあった情勢は何と数百人以上にのぼる!
彼には懲役14年の刑が下った。
その本人が昨年、ひそかに刑務所を出所していたのだ。
和田が懺悔と贖罪の念を吐露した――。
以下、独占インタビューを抜粋。
長くなるがお付き合いいただきたい。
和田真一郎(スーフリ)、独占インタビュー
塀の外へ出て、最初に口にしたのはステーキでした。
15年ぶりの肉の塊は、この世のものとは思えないほど美味で、長らく味わうことが許されなかったご馳走を前に、冗談ではなく本当に涙が出そうになりました。
その日は晴天で、朝からとても蒸し暑かった。
いつも通り6時半に起床し身支度を整えて看守さんに挨拶。
門をくぐり抜けて建物を背にすると、そこには家族や親類の姿はなく、かわりに現在お世話になっている篤志家の社長さんが迎えに来てくれていました。
私が千葉刑務所を満期出所したのは昨年6月29日。
現在は、服役中に受講した「就労支援」制度のご縁で今の社長さんに採用して頂き、仕事に就いています。
朝から夜遅くまで働き、休みは週1日。
でも、社会復帰したんだなという思いは強く感じています。
インカレサークルを舞台にした「スーフリ事件」から15年余り。
一連の事件では、早大のほか東大、慶大、学習院など有名大の学生ら14人が逮捕され、和田氏は3件の準強カン罪で起訴された。
公判では、泥酔した女性の“まわし”(リンカン)が和田氏の指示だったとの証言が次々飛び出し、当時代表だった和田氏は「主犯」と認定された。
2005年11月、最高裁で懲役14年という最も重い刑が確定。
出所後は、ある地方都市で暮らしている。
最初に逮捕されたのが03年の6月ですから、ちょうど15年間、塀の中で過ごしてきました。
その間、仮釈放は一切認められなかった。
事件の性質にもよるのでしょうが、ことに聖犯罪では認められにくいのだと聞きました。
久しぶりに社会に出て、一番びっくりしたのは「スマホ」です。
刑務所にいる時から存在は知っていましたが、実際に触ってみて“こんなものがあるんだ”と、15年の長さをいやでも感じさせられました。
また出所の日に寄ったスーパーマーケットでは、刑務所と違ってモノが溢れていて、長いこと食べたいと思っていたご馳走も並んでいた。
それを眺めながら思わずめまいに襲われた私は、迎えに来てくれた社長さんに
「昼は何が食べたい?」
と聞かれてとっさに
「ステーキです」
と答え、ご馳走してもらったというわけです。
名前を変えて働いて…