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白血病により命を奪われた芸能人!岡村孝子、池江璃花子は!?

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白血病にマケルナ!

 

白血病告白!岡村孝子が長期の治療に!

出典:https://bit.ly/2Uwjg8z

 
突然だが、白血病という病気をご存知か?
 
白血病とは血液の癌とも呼ばれている非常に恐ろしい病気だ。
 
つい先日の話だが、シンガーソングライターである岡村孝子が白血病の病魔に侵されていることを告白した。
 
岡村孝子は先日行なった検査の際、「急性白血病」と診断され、急遽、長期の治療に入ることになった。
 
それに伴い、現在発表されいる下記のコンサートツアー「T’s GARDEN」4公演は中止となった。
 

■中止となった4公演
2019年6月15日(土) 千葉県・松戸森のホール21
 
2019年6月22日(土) 広島県・東広島芸術文化ホール くらら大ホール
 
2019年6月30日(日) 埼玉県・川口総合文化センターリリアメインホール
 
2019年7月14日(日) 兵庫県・ポートピアホール

 
 

白血病で闘病中の池江 璃花子

池江 璃花子
 
リオオリンピックにも出場した競泳女子代表、池江璃花子選手が2月12日午後2時、「白血病」と診断されたことを、自身のツイッターで公表。
 


 


 
自身の持つ日本大会記録を何度も塗り替えてきたまさに期待の池江璃花子選手。
 

 
そんな超一流アスリートだって、病気には勝てない。
 
池江璃花子選手は早期発見もあり、完治に向けて全力で病と闘っている。
 
今年の7月で19歳となる池江璃花子選手だが、まだまだ若いだけに頑張って克服してほしい。
 
そしてまた、水の中で妖精のような美しいストロークで世界を圧巻してほしい。
 


 
頑張って!
 
 

白血病で命を奪われた芸能人あの2人

白血病
 
血液の癌といわれている白血病
 
ここでは白血病で亡くなった芸能人を紹介していきたいかと思う。
 
誰もが涙を飲んだ。
 
どんなに知名度があっても、お金があっても、いともかんたんに人の命をうばっていく病。
 
時代が変わっても、医学が進歩しても、まだまだ人を恐怖のどん底へ陥れる白血病。
 
 

夏目雅子-白血病-

夏目雅子
 

〇生年月日:1957年12月17日
 
〇没年月日:1985年9月11日(27歳没
 
〇出身:神奈川県横浜
 
〇身長:164cm
 
〇血液型:B型
 
〇死没地:慶應義塾大学病院

 
1957年(昭和32年)12月17日、東京都渋谷区宮代町の日本赤十字社中央病院にて、六本木2丁目の輸入雑貨店・亀甲屋の子として生まれる。
 
趣味は毛糸の編物、絵(デッサン)、琴、古い食器収集、俳句(東京俳句倶楽部所属、俳号は海童)、生け花(草月流)。
 
小学3年生のときにテレビドラマ「チャコちゃんハーイ!」を見て女優を志す。
 
だが子役願望は母親に猛反対されかなわず、17歳のときにヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画「ひまわり」を映画館で見て衝撃を受け、ソフィア・ローレンに憧れ本格的に女優を目指すようになった。
 
日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか…』のオーディションで486人の応募者の中から盲目のヒロイン役に選ばれ、本名(小達雅子)で女優デビュー。
 
この時の演技は57回連続NGを出され、「お嬢さん芸」と言われたほど拙いものであった。
 
周囲から“お嬢さん”と見られることは後々まで彼女のコンプレックスであった。
 
1978年、『西遊記』で三蔵法師役を演じて人気を得る(「頭の形が良く、美しくて神々しい」と美貌が話題となった)。
 
1984年、不倫していた作家伊集院静と結婚
 
自宅で週刊誌用に行われた記者会見では、新婚旅行はどこに行きますかと問われて、「韓国です。」と答えている。
 
1985年(昭和60年)2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中、10円玉大の口内炎ができる。
 
さらに激しい頭痛など極度の体調不良を訴える。
 
それでも泣きながら「這ってでも舞台に戻る!」と、頑なに出演続行を望む夏目本人を何とか説得して、共演の西岡徳馬の勧めにより翌2月15日、慶應義塾大学病院に緊急入院した。
 
急性骨髄性白血病と診断。
 
夏目雅子本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。
 
夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。
 
当初から娘の芸能活動にずっと反対だった母スエは、彼女が入院して初めて娘の出演する作品をみて、ベッドの彼女に話しかけた。
 
その時彼女はとても喜んだという。
 
その後、約7ヶ月に渡る闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先、8月下旬から抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発。
 
高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引いたが、翌9日から再び高熱を発して、意識不明の重体。
 
1985年(昭和60年)9月11日午前10時16分、逝去。
 
27歳没。

出典:https://bit.ly/2UHwi32

 

 
 

本田美奈子-白血病-

本田美奈子
出典:https://bit.ly/2LcYbjY

 

〇生年月日:1967年7月31日
 
〇没年月日:2005年11月6日(38歳没)
 
〇出身:東京都葛飾区
 
〇身長:162 cm
 
〇体重:43 kg
 
〇B:74 cm、W:56 cm、H:76 cm
 
〇血液型:O型
 
〇死没地:慶應義塾大学病院

 
1967年(昭和42年)7月31日午前11時17分、東京都板橋区上赤塚町(現:成増)の成増産院にて、体重2860gで生まれる。
 
ラジオ全国放送の”その日生まれた新生児を紹介するコーナー”で取り上げられる。
 
家族は東京都葛飾区柴又に在住していたが、幼いうちに埼玉県朝霞市に移住。
 
朝霞白百合幼稚園に入園、以来、生涯の大半を朝霞市で過ごした。
 
歌手になる事を夢見ていた母親の影響で、美奈子も幼い頃からいつも歌を歌っていた。
 
朝霞市立朝霞第六小学校の卒業文集にも「女優か歌手になれたらイイ」と書いていた。
 
朝霞市立朝霞第一中学校3年生の時に『スター誕生!』のオーディションを受けた。
 
14歳で出場したテレビ予選では柏原芳恵の「ハロー・グッバイ」を歌い、見事合格して決戦大会へ進出。
 
この時の出場者の5人の中には松本明子徳永英明がおり、3人とも決戦大会へ進んでいる。
 
15歳を迎えて出場した決戦大会では松田聖子の「ブルーエンジェル」を歌った。
 
しかし、プロダクションは1社も獲得意思を示さず落選となった。
 
1983年(昭和58年)4月、東京都北区の東京成徳短期大学附属高等学校に入学。
 
同年7月に初めて原宿を訪れた際に、少女隊のメンバーを探していたボンド企画のスタッフにスカウトされ、芸能界に入った。
 
中原めいこのヒット曲『君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。』をデモ音源で聞き、才能がある歌いっぷりから、この子はソロで売り出そうと決めたそうである。
 
高校2年生の1984年(昭和59年)9月に第8回長崎歌謡祭に本名で出場し、「夢少女」(作詞:深田尚美、作曲:安格斯)という楽曲を歌ってグランプリを受賞。
 
このことがレコードデビューのきっかけとなった。
 
2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。
 
11月には地元・朝霞市でのコンサートや、12月23日には新宿文化センター大ホールでのクリスマスコンサート、暮れには結果的に生前最後のTV出演歌唱となった「題名のない音楽会21」の収録に臨んだ。
 
翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院、翌日にはその事実が公表された。
 
その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解(癌細胞が十分に減った状態)は得られなかった。
 
急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。
 
治療として骨髄移植が考慮されたものの、骨髄バンクでドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったことから、同年5月、臍帯血移植を受けた。
 
同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月8日に再入院。
 
輸入新薬による抗癌剤治療を受けた。
 
翌月には再度一時退院、その間には白血病患者支援のためのNPO法人『Live for Life』が設立。
 
同月末に再入院。
 
その後肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、家族らの見守るなか、逝去。
 
38歳没。

出典:https://bit.ly/2INcMBs

 
 

白血病-まとめ-

本田美奈子
出典:https://www.fnn.jp/posts/00414990HDK

 
白血病は治らない病ではない。
 
しかし、100%完治すると確約できるものでもない。
 
強い気持ち、周りの支え、そういったものも影響してくる。
 
池江璃花子選手がTwitterで白血病を告白した時、何万ものコメントが寄せられた。
 
その中には、同じ白血病に苦しみ、克服した人のコメントも多くあった。
 


 


 


 


 


 


 
白血病で苦しんでいる人たちは世界中にいる。
 
1人でも多くの人たちが完治できるようにただただ祈るばかりである

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★足跡/掲示板★ ※ご自由にお使いくださいね。 ■役者を10年以上続けてきましたが、食えるわけもなく。お財布を少しでも潤したいと思いネットビジネスに手を出す。牛乳が大好きで山梨県の清里にちょこちょこ出没(※年に数回程度ですが。) いつか、牛乳が世界を救う時がくる。そう信じて僕は今日も一歩前へ歩を進める。