マリリン・モンローの極秘情報暴露

20世紀のハリウッドを代表する女優といえば、まず頭に思い浮かぶのがマリリン・モンロー。
セックスシンボルとして一世を風靡。
私生活でも知名度の高いプロ野球選手ジョー・ディマジオや、劇作家アーサー・ミラーといった有名人と結婚していた(2人とは長続きせず離婚)。
さらに大統領ジョン・F・ケネディと不倫するなど常に話題を振りまき、わずか36歳という若さで死を遂げた伝説の女優だ。
彼女の死については当時からさまざまな説が取りざたされているが、最近では新たな陰謀論も囁かれている。
その陰謀論というのが、彼女は極秘情報であったエリア51にいるエイリアンについての情報を知り、それを暴露したために命を落とした・・・
というものである。
一体どういうことなのか?
じっくりと見ていこうかと思う。
マリリン・モンローの謎多き死

マリリンが亡くなったのは、1962年8月5日のこと。
ロサンゼルス郊外ブレントウッドの自宅で、ベッドに全裸で倒れているところをメイドによって発見された。
検死解剖の結果、死因は睡眠薬の大量服用によるバルビツレート中毒とされた。
ハリウッドの大スターのあまりにも突然の訃報、しかも自殺の可能性があるとして、このニュースは世界中で大々的に報じられた。
確かにマリリンは薬物に手を染めたり、精神的不安定な状態が続いて睡眠薬を過剰摂取し、精神病院へ入院している時期もあった。
しかし、現場には不可解な点がいくつも残されていた。
まず、睡眠薬を過剰摂取したという割に、薬を飲むコップが見当たらなかった。
倒れたマリリンの手には電話の受話器が握られていたのに、電話局に通話記録が残っていなかったのだ。
さらに彼女の赤い日記帳が消えていた。
マリリンは大統領ジョン・F・ケネディのみならず、その弟で司法長官ロバート・ケネディとも不倫関係にあったとされ、彼女を危険視したCIAやFBIによる暗殺・隠蔽説は当時から根強い。
しかし、暗殺が事実だったとして、なぜマリリンは殺されなければならなかったのか?
マフィアとの関係を危ぶまれていたという話もあるが、すでにケネディ兄弟との関係は終わっていた。
その答えとして近年新たな説が浮上している。
マリリンはケネディ兄弟との交際中、エイリアンに関する機密情報を知ってしまい、捨てられた腹いせにそれを暴露しようとしていたというのだ!
ケネディ兄弟がマリリン・モンローに漏らした秘密/真相

1990年代、マリリンの死について調査していたジャーナリストのミロ・スペリグリオは、情報公開された大量のCIAの文書の中に、一つの極秘文書を見つけた。
それはマリリンの死の直前である1962年8月3日に書かれたもの。
ケネディ兄弟は交際中、マリリンにとある機密情報を教えてしまった。
その後、別れ話に怒った彼女がジャーナリストのドロシー・キルガレンにその情報を流し、暴露しようとしていた・・・
という内容のものだった。
マリリンが知ってしまった機密情報、それはズバリ
■「墜落した宇宙船と死体」
■「宇宙から来た物体を調査する秘密の空軍基地への大統領の訪問」
■コードネーム「サイトY」と呼ばれるエリア51からつながる秘密基地に関する極秘情報全般
要するにロズウェル事件の真相と、エリア51の秘密にほかならない。
1947年7月に米ニューメキシコ州で起きたロズウェル事件では、墜落したUFOと搭乗員のエイリアンの遺体を回収。
ネバダ州にあるグルーム・レイク空軍基地、通称エリア51に運び込まれたとされている。
政府が隠蔽していたこの事実を、あろうことか大統領が不倫相手に漏らしてしまったのだ。
※ケネディ大統領の誕生パーティー後、ケネディ兄弟と話すマリリン。
マリリンとマフィアの関係を危険視したFBI長官の忠告により、ジョン・F・ケネディはマリリンと別れることを決意。
だが、この別れ話に激怒したマリリンは、ロズウェル事件について調査していたキルガレンと接触し、電話で秘密を話したというのだ。
この事態を重く見て、CIAはついにマリリンの暗殺を決定。
このことはケネディ大統領も知っていたという。
現場から赤い日記帳がなくなったのも、この秘密が書かれていたからとされる。
なお、マリリンが接触したキルガレンはその後もジャーナリストとして活動し、1963年のケネディ大統領暗殺事件ではウォーレン委員会報告書に公然と疑義を呈していた。
しかし、1965年に自宅で亡くなっている。
死因はアルコールと睡眠薬バルビツレートの併用が原因とされ、こちらもやはり謀殺の噂がある。
この説が事実であるとすれば、20世紀を代表するUFO事件とハリウッドを象徴する伝説の女優の死がつながっているということになる。
UFOとエイリアンの秘密を守るためなら、相手が誰であれ、どんなことでもするということなのか。
昔も今も米国の闇は深い。
CHANELが公開した「N°5とマリリン」貴重な肉声
マリリンは、1921年に発表された名作フレグランス「N°5」を愛用していたことで知られている。
CHANELが持つ彼女の肉声テープをもとに「N°5」とマリリン モンローのミステリアスで親密な関係を紐解くという内容だ。
往年のスターだった女優マリリン・モンロー(1926~62年)が生前語った有名な言葉。
(香水の)シャネルの5番を着て寝る
実はインタビューの音声が見つかり、フランス高級ブランド「CHANEL」の広告に使われることになったんだ。
見つかったのはマリリンが60年に行ったマリー・クレール誌のインタビュー音声で。
この中でマリリンはシャネル【CHANEL】の5番のエピソードについて、
「何を着て寝るかと聞かれて、シャネルの5番と答えたの。本当のことだし、裸で寝ているとは言いたくなかったから」
と話している。
5番の香水は、21年にシャネル創業者であるココ・シャネル自身が、調香師エルネスト・ボーに特別に注文して作らせたものだ。
マリリン・モンローは1952年、ライフ誌とのインタビューで、
夜は「シャネルの5番を5滴」だけ身にまとって寝る
と、はじめて答えたとされている。